この記事では阪神大震災にまつわるお話を二つ紹介しています。一つは阪急電車の復旧に関するエピソード、もう一つは阪急電車の鉄橋がある武庫川のモニュメントのエピソードです。
阪神・淡路大地震のあと、阪急電車の復旧を沿線の人々は待ち望んでいた。うちもその一軒。
夜を徹して行われる作業、騒音や振動をこらえてくださいと、電鉄会社の人が頭を下げに来た。
「何を言ってるんだ?我慢するに決まってるじゃないか。それよりも一刻も早い復旧を。」
うちも含めて、沿線の人々はみなそう言って、電鉄会社の人を励ました。
阪急は国の補助も受けず、少しづつ復旧・部分開業していった。
そして最後に残された西宮北口~夙川間の高架部分の再開によって、ついに神戸本線は全通した。
再開の日に、もちろん漏れも乗りに行った。神戸で逝った友のもとへ行くために。
運転台の後ろは人だかりだった。みな静かに鉄道の再開の喜びをかみ締めているようすだった。
夙川を渡るそのとき、川の土手に近所の幼稚園の園児たちが立ち並んでいるのが目に飛び込んできた。
手書きの横断幕を持って・・・。
「あ り が と う は ん き ゅ う で ん し ゃ」
運転手が普段ならしないはずのそこで敬礼をした。
そして大きく「出発進行!」と声を上げた。
その声は涙声になっていた。漏れも泣けた。
ときよ、上越新幹線よ、もまいを待っている人々がいる。
復興のために、そして人と人をつなぐために、よみがえれ、不死鳥のごとく。
このページの冒頭に貼ってあるのは兵庫県宝塚市にある武庫川の鉄橋の画像なんですが、上記のお話と直接の関わりはありません。
じゃあどうして貼ってあるのかといいますと、一つは「エピソードと雰囲気が合っていた」ということと、もう一つは、武庫川にも心温まるエピソードがあるので、画像を貼ってついでにそれも紹介しちゃおうというたくらみなんですね。
まあ、ご紹介と言っても古い話題なのでご存知の方も多いかと思いますが、この武庫川の中洲にはあるモニュメントが作られていたんです。下記の画像は冒頭の画像を大き目にトリミングしてありますのでそのモニュメントが確認できます。
画像の下中央に石を積んで造られた「生」という文字があるのが分かるかと思います。この石の文字は、2005年に宝塚市在住の現代美術家「大野良平」さんが阪神大震災の犠牲者への追悼の気持ちで制作したもので、再生の生の文字からきているそうです。
造られてからのち、多くの人に勇気と希望を与え続けたこの石造りのオブジェは、残念なことに制作から一年半後に台風による増水で消失してしまいます。しかし宝塚市在住の作家「有川浩」さんの小説「阪急電車」の映画化をきっかけに2010年の12月に、文字通り「再生」されて生き返りました。
そこら辺の顛末を制作者の大野さん自ら語っている動画がありますのでもしよければご覧になってみてください。
動画をご覧になった方はお分かりと思いますが、モニュメントの再生には沢山のボランティアの方々の協力がありました。
が、せっかく再生したにも関わらず、2011年5月の大雨の影響で武庫川が増水し、またもや消失。この時、大野さんは上記動画を制作した宝塚インターネットテレビとのメールのやりとりで「東日本大震災の復興の象徴として再び「生」を造りたい 震災の街 宝塚から元気と勇気を届けたい!」という力強いメッセージを発したそうです。
そしてその言葉通り、同年、三たびモニュメントを再生しましたが、9月の台風23号によりまたもや消失。しかししつこくまた再生し12月10日に完成。
というわけで現在四代目となる生のモニュメントなんですが、こうなってくると「なぜコンクリィトゥで固めんかぁぁ!(# ̄皿 ̄)ノ_彡☆バンバン」というツッコミを七つぐらい入れたくなります。
でも、たぶんなんですがそんなことは僕が言うまでもなく皆さん考えたことなんじゃないかと思います。けどあえてそうしないんじゃないかと…(確認はしてません。管理人の想像です)。
なにせこのモニュメントは元々「再生」の「生」の字なわけですからね。何度も消えてはよみがえるその姿に、「形あるものはいつか消えるさ、だったらまた再建すればいいじゃない」というメッセージが込められていような気がするんです。もちろん真偽のほどは分かりませんが、少なくとも僕はそう思っています。
生のモニュメントは、川の中州にある限りいつかまた消える運命にあると思いますが、きっと大野さんはそのたびに再生くれるでしょう。もし大野さんが何かの事情で再生できなかったとしても、「絶対に誰かが再生してくれる」と信じていたいものです。(終)
最後になってしまいましたが、
阪神大震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
合掌